むしろこっちが人生相談したい気持ち満々のコラム、「池谷のぶえの人生相談の館」です。

不安になると心臓がバクバクしてしまう、いわゆる動悸というやつでしょうか。いままで数回経験しましたが、自分を自分でコントロールできないあの独特な恐怖感は、できればもう経験したくないものです。

その、最後の動悸から1年が経ちました。
奴が再びやってこないようにするためには、なんだかちょっとやそっとの工事では修正不可能な気がして、自分の土台から掘り起こすコツコツとした基礎工事を、地味に続けてきた1年間でありました。

まあ、動悸なんてのは、ただの動機で…言葉遊びは、ご自身のコンディションによってはイラっとしますでしょう? もしイラっとしたら、見ているこの画面を殴って気を紛らせてくださいね。

つづけます。
まあ、動悸なんてのは、ただの動機で…それまでの自分を続けていたら限界になってしまうという合図だったのだと、いまでは思います。もう、コップの水ギリギリの表面張力のような状態だったのでしょう。

自分のことをもっともっと、我慢したり、頑張ったりできる人間だと思っていましたが、そうでもなかった…のに我慢させたり、頑張らせていたのが、可哀想だったね自分…と、自分の出来なさ加減も愛おしく思えるようになった1年後の現在です。

我慢や頑張りといえば、お仕事に対してもそうした部分がたくさんあったのですが…まあ、お仕事というものは、ほぼほぼ我慢や頑張りで構成されているものでもありますが、その面でも約1年前にはコップの水が溢れてしまった感もありました。

ということで、全面的な自分リフォームに勤しんできた1年間。
以前に比べるとだいぶ楽な状態になってきましたが、やはりまだまだ翻弄されるのは、自己肯定感の低さです。

いろんな情報を紡ぎ合わせていくと、幼い頃からの愛情不足が一番の原因らしいですが、そんなこといわれたって、タイムマシンも魔法もないこの世では、いまさらどうにかできるものでもありません。

そんな中、こんな記事を見つけました。

「私は私のままでよい。私は私のままで価値がある。どんな状況になっても私の価値は変わらない」
「愛しているよ。あなたをそのままの状態で愛しているよ。これまで大変だったね、でももう大丈夫。あなたは愛されている」

的なことを、毎日自分に言い聞かせ続けると、本来なら幼い頃親から自然に育んでもらえたはずの愛情と、同じ効果の自己肯定感が育まれるそうです。

しかし、子供時代なんてそれなりに長いです。
その期間分自分に言い聞かせなきゃいけないとしたら、義務教育期間だって12年。
いまからやったって、58歳にならないと自分を肯定できないなんて…しびれるぜ、人生。

と、思っていたら、回数にすると1万回くらいと書いてありました。
朝昼晩10回ずつ言い聞かせたとして1日30回、1万回÷30回=約333日。

1年足らずで肯定できるじゃんかよ!
いままで何だったんだよ!
つーか、そんなもんで人生の強い土台ができるなら、あぁ…本当に幼い頃に愛情をもらっておくことがどんなに大切か…幼い頃の自分にたっぷり愛情を注いであげたい…と、タイムマシンも魔法もないのに夢想してしまいます。

そんなこの頃にタイムリーな、今回のご相談です。


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こんにちは。今回はよろしくお願いします。
劇作家・演出家として食べていけるようになってから現在までの15年間、がむしゃらに働いてきました。有り難いことに仕事が途切れることはなく、大変ではありましたが、そんな仕事一色の生活に満足していました。

ところが2年前に息子が生まれて以来、状況は一変しました。生活の中で最優先していたものが、仕事から子供に変わったのです。なるべく子供と一緒に過ごす時間を増やすために、仕事を減らそうと思うようになりました。

しかしご承知の通り不安定な仕事です。今が良くても三年後どうなっているかはわかりません。この歳で出来た子供ですから、彼が成人する頃には自分は還暦を過ぎています。それを考えると、まだ気力体力ともに充実していて、仕事の依頼がある今のうちになるべく多く働いて、家族の将来に備えるべきだとも思うのです。

すでに大きなお子さんを持つ知り合いからは「可愛いのは始めだけで、あとは憎たらしくなる一方だ」という意見も聞かれます。ならばやはり、その貴重な可愛い時期こそ一緒に過ごすべきなのか、それとも、そんないっときの可愛い時期に惑わされ、これまで培ってきた仕事のリズムや信頼関係を崩すのは馬鹿げているのか、日々悶々としています。

倉持裕さん(劇作家・脚本家・演出家 44才)

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正直、甘い考えを持っていました。
人生相談と銘打っているものの、軽いコラムの枠組みのように思っていました。

倉持さん…ド直球のご相談ではないですか。

まったく自分の手に負える気はしないので、人生相談のスペシャリストについて調べまくりました。
スペシャリストによると、

・相談者の名前を呼ぶ。
・相談者を受け入れる。
・べき論を振りかざさない。
・本人の気付きを大切にする。

ということを気にかけていると書いてありましたので、本職の方に則って、ド直球に返答させていただきます。

倉持さん。
悶々としたお気持ちの状態を、飾ることなくお伝えいただき、ありがとうございます。

実際のところ私には子どもがいないので、これからお返事することも、あくまでも妄想の範囲を超えられないことを先にお詫びいたします。

まず、倉持お父さん、もうすでにありがとう、です。

先に私も述べました、お子さんが幼い頃に与えられるべき親からの愛情の土台を、倉持さんは既に着々と築いている。そして、なんならもっと時間を設けて築きたいと思っている。

そして、そのための時間を設けるには、いままでの自分の時間軸だと無理が生じてきているのですね。

はっきり言うと、絶対どちらか一方を選べるものではありません。

そして、答えはもう出ているように思います。
いまはきっと、お子さんとの時間をとても大切にしたいのですよね。

とはいえ、人は働かなければ生活してゆけません。
倉持さんがおっしゃるように、この先生きていく準備のためにはいま働いておく必要もあります。

しかし近頃思うのは、仕事というものは本当に自然の流れでやってくるもののように思います。そしてそのまま、自然の流れでやっていくもののようにも思うのです。そして、そうしてやっていく仕事のほうが、ささやかながら結果が出ていくような気もしています。

ですから、自らお仕事を減らす…という思いではなく、この先のご家族との人生のために自然にやってくるお仕事を、丁寧に選んでいく…というのはいかがでしょうか。

気持ちの問題だけで結果的には同じことなのかもしれませんが、倉持さんがこの15年間でがむしゃらにお仕事と向き合って来たことで、生きるためのお仕事、自分のためのお仕事、誰かのためのお仕事、いろいろな選択が可能な時期なような気がします。
そして、倉持さんの人生にあらたにお子さんが加わったことで、いままでとは違うお仕事の選択方法になったとしても、それはとても自然で豊かなことだと思います。

同じお仕事場付近にいる私としては、倉持さんの作品をどんどん世に出してほしい、来るお仕事全部やっちゃってください! という気持ちはもちろんモリモリありますが。

最近好きなのは、「なるべく」という言葉です。
ちょっと無責任な印象の言葉ではありますが、

「なるべく」そのようにしてみる
「なるべく」してそのようになる

など、余白があったり、結果その余白はこのためにあったのだ、と思えたりして、ちょっぴり身を任せられたりする、実家の座椅子のような言葉です。

倉持さんのこれからの人生も、息子さんが小憎らしく成長されるまでは、なるべく、お子さんとの時間をたっぷりと。
そして、既に小憎らしく成長した人間たちとの豊かなお仕事も、なるべく、たっぷりと。
だと、嬉しいです。

ラッキー待ち受け
Jinsei03

我が妹のいちばん可愛かった頃の写真です。
妹でさえ可愛かったのですから、ご自身のお子さんともなるとそうとう可愛いものなのでしょうね。
この後、どんどん小憎らしくなり、いまでは姉である私は、ヒエラルキー的に完全に下に見られています。
どうか、可愛らしい時間を大切に。

■倉持裕さんの今後の予定
M&Oplaysプロデュース「鎌塚氏、腹におさめる」
作・演出:倉持裕
8月5日(土)~27日(日)
本多劇場
他、名古屋公演、大阪公演、島根公演、広島公演、宮城公演、富山公演、静岡公演あり
【筆者プロフィール】
pro_iketani 

池谷のぶえ
いけたにのぶえ94年より04年の解散まで劇団「猫ニャー」の劇団員として活動。解散後は、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作品、NODA・MAP、蜷川幸雄演出作品など数多くの舞台に出演。

[出演情報]
【舞台】 
「Little Voice(リトル・ヴォイス)」(作:ジム・カートライト、演出:日澤雄介)
2017年6月24日(土) 北九州ソレイユホール

こまつ座 第119回公演「円生と志ん生」(作:井上ひさし、演出:鵜山仁)
2017年9月8日(金)~24日(日)  紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 

【TV】
NTV「残酷な観客達」
毎週水曜 24:59~25:29




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